傘と雨
ひとって、変わるのだ。よくもわるくも、変わるのだ。
小さい頃から、私の数少ない特技のひとつは「傘をなくさないこと」だった。よく外出先に傘を忘れてくる母にはそれが衝撃的でさえあったらしい。たびたび感心されたものだから、それは私に美点として刻まれた。
だが、数年前、あまりに感激した美術展で傘をなくして以来、心が大きく動くときに傘をなくしがちになった。
つい最近、『すきだらけのビストロ うつくしき一皿』の関係者のみなさまとお食事する機会があり、その時にも、新調した傘をなくした。
思えばその傘は、この連載ととてもかかわりの深い傘だったので、書籍の発売ともあいまって、卒業、という感じがうっすらした(もっとも、そう思い込むことで、心理的なショックを和らげようとしているだけなのかもしれない。単純にあの傘がいなくなってさびしい思いも)。
昨年、執筆にあたっての取材に出掛けた際、渋谷についたとたん、ぱん、と音を立てて長年愛用していた傘が壊れた。骨と骨をつなぐ部分が壊れたらしかった。骨を失った傘は、スナップでまとめようにも、ぷっくり膨らんで不格好だった。
大雨が渋谷を覆った日、その日が梅雨入りだったとあとから知った。
その日からあれこれ探して、悩んで、これと決めたのが、クリームソーダの傘だった。緑色のグラデーションに、スナップには赤いさくらんぼのチャームがゆれる、おいしそうな傘。かわいい傘。
不思議なことに、傘を購入したらほどなく梅雨は明け、ふだんあまり出歩かないためか、傘の出番もあまりなく、近所への買い物を含めても、片手で足りるほどしか使っていなかった。それでも、執筆中の大半を、この傘と過ごしたことになる。
その傘を、電車の座席端の手すりに引っ掛けたまま、忘れて乗り換えてしまったのだ。
気づいたときにはもう遅く、電車は数駅先。問い合わせたものの見つからず。せめて、あの雨の日、誰かがあの傘で冷たい思いをしないですんだと祈ろう、と悔し紛れに言い聞かせつつ、残念さを噛み締めた。
傘をなくしたとたん、頻繁に雨にあう気がするのは、なぜだろう。
しかし、出会いは突然にやって来る。
行こうと思っていた催しを、雨がひどそうだからと諦めた。
なのに当日になったら、その日に別な場所で、ある写真展が開催されていると知った。はじめておこづかいを貯めて買った料理本をかかれた方、そしてその方は数年前に他界されたとも。
知らない駅に立つことも、傘のことも気になったけれど、「行かなくちゃ」と切に思った。
小さな折りたたみ傘では太刀打ちできなさそうな、本格的な雨の日だった。
とるものもとりあえず家を出て、最寄駅に車を停めると、失くしたのと色ちがいの傘に出会った。
青いクリームソーダの傘。スナップには、同じように、赤いさくらんぼのチャームがゆれていた。
写真展の会場、商店街の中にあるミニシアターにつくと、最後のご著書の、最後の一冊が、私を迎えてくれた。
CUELの、ハギワラトシコさん。いつも素敵で刺激的なお料理で、憧れと好奇心をかきたててくださった方。なんともなめらかな文字や、のびやかなイラストも大好きだった。福田里香さん、GOMAさんによるフードを噛み締め、館内に飾られた写真の数々に魅入った。
春。
別れもある。出会いもある。
晴れた青空の下と雨曇りの日では、見える景色の印象がちょっと変わったりもする。
自分も、変わる。
雨音に耳を傾けながら、いまだに胸の焦がれるような素敵なお料理の本を、ゆっくりめくろうと思う。
>>>CUEL&小泉佳春 写真展『CINEMA&FOOD 映画を食卓に連れて帰ろう』
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