お手紙

はじめてクラウドファンディングに参加したところ、こんな素敵な封蝋のお手紙が届いてうれしかったです。

作家の内田洋子さんが呼びかけ、コロナ禍でのイタリアの若者たちの日常をつづった『デカメロン2020』。WEBで拝見していたのですが、本にするためのクラウドファンディングを立ちあげたと知り、参加させていただきました。

人と人が、会ったり、ともに食事したり、触れあうことが暮らしの中から取り払われ、人を信じる気持ちにまでなにか踏み絵のような思いを突きつけられる今という時期。私自身にとっては、自分の中で数年前から考え続けていて、きっとこれからもずっと考え続けることと、真正面から向き合う時期となりました。作品に取り組ませていただく中で、その問いにも何度も立ち戻り、考え、時に行き詰りつつ過ごしたのですが、この時期、誰もがきっと多かれ少なかれそうした痛みにも似た思いをそれぞれに抱えて、過ごしているだろうと思います。

他の国の若者たちの暮らす「日常」の記録は、国や言語を超えて、人そのものの普遍的な営みを思わせるようでもあり、その中にもささやかに光を求めようとする姿に胸を打たれます。食べ物のお写真もよく登場します。私が食いしん坊だからかもしれないですけど、毎日のなにげないごはんが与えてくれるささやかな幸せに、ひとり胸を打たれているのでした。


現代美術家の内藤礼さんが、水戸芸術館での個展の際に、人は光を求めるものだと、ご自身の体験を通して気づいたと話しておられたのですが(そのお話の中では、比喩としての光ではなくて、光線、太陽光としての光、という文脈でした)、人間という動物として感じる太陽光も、希望や明るいものの比喩として語られる光も、人が生きていくうえでは本当に大切なものだと、私も思います。冬はもともとは「殖ゆ」、その先の芽吹きの季節のための準備をする時期という言葉からきている、という話も同時に思い出します。

誰もに、光は、あるから。

辛い時や苦しい時は、光がすぐそこにあっても気づけないものかもしれないと、自分の経験からは思うのですが、それでも、光は、あるから。気づくときも、きっと来るから。祈りのような思いを込めつつ、自分になにができるのか、問い続けています。今も。


クラウドファウンディングに申し込んだのちは、日々メールが届きました。誰かの日常を見聞きするのは、不思議な体験ではありましたが、なんだか、遠くに住む大切な仲間のような気がしていました。

予定額達成のお知らせとともに届いた一通のメールに、私は泣いてしまったのです。

参加した若者たち一人一人が、グラスを手にしている、笑顔の写真でした。ひとりひとりからの乾杯。その姿が、私には、光に思えたのでした。

奇しくも、いま紡がせていただいているのは、乾杯とつながる温かな思いをテーマにした物語。私にできるのは本当に小さなことでしかないのですが、読んでくださった方が、ほんのわずかな光でも、ご自身の中に見つけてくださったらいいな、と祈りながら。一文字ずつしたためています。

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