到来物

一足はやくに、サンタクロースが訪れた。
ちまたでは恋人はサンタクロースだそうだが、私には友だちがサンタクロースだった。信じられない贈り物を届けてくれた。

久しぶりに会えた友だちはかつての会社の同僚で、昔からセンスがよく、明るく素敵な、そして普段はそんな顔を見せないけどすこぶる繊細な、自慢の友だちのひとり。どうひっくりかえっても彼女のように素敵な大人になれる自信が私にはない。

パンのことを調べていたとき、行ってみたいと強く思ったお店が、彼女の以前の住所と似ていて、尋ねたことがあった。その店のこともよく知っていた。
「でも、移転して幻のパンになっちゃったんだよ」
かなり辺鄙な場所で予約販売のみ、それもよほどの強運に恵まれないと出会えないという。200回電話してもつながらないほどと聞き、幻っぷりに目の前が霞んだ。

その「幻」のシュトーレンを、彼女は携えて来てくれたのだ。

些細なやりとりを覚えていてくれたのも、忙しいなか手にいれてくれたのも、シュトーレンそのものはもちろんだが、彼女のその思いがありがたくて嬉しくて、視界が潤んだ。
きっと、おいしい、なんていう言葉では、言い尽くせない。彼女の気持ちが、体の真ん中にほこほこあたたかいものを、うずめてくれた。

さっそくいただいてみる。なるほど、200回電話がつながらなくても、201回目の通話ボタンを押してしまうのも頷けた。
噛むごとに味わいが変わるのだ。生地の味、フィリングの栗やフルーツ、ナッツの味や食感、スパイスの香り、表面の砂糖のかたまりがまたいろいろな香気をまとっている。うっとりとか夢見心地とかそんなかそけきものではなくて、いまこの時に踏みとどまり噛み締めるような、味わいが消えたあとにもなにかを刻み込むような、そんな味。
材料のどこにも酒類は見当たらないのに、なんだか心地よく酔っているのはなぜなのか。
やっぱり、おいしい、なんて言葉では、言い尽くせない。
ありったけの尊敬をこめて、到来物、と呼んでいる。届けてくれた人への感謝がこもっている気がする、好きな言葉だ。

シュトーレンを見かけると、ああ一年が終わっていくのだなと思う。今年はいろいろなことがあった。それはいつの年だってきっと、年の瀬には思うのだろうけど、父との別れはことさら大きかった。答えのない問いをずっと考え続けている。
シュトーレンを二切れ、コーヒーを二人分。父の陰膳と、私の分。ついぞ我が家を訪れることなく逝った父だったが、もう、好き放題あちこちを飛び回ってもいるだろうから。
そんなこといって二人分食べたいだけだろう、と、父の笑う声が聞こえてきそうだ。

はなうたとくちぶえ

冬森灯

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