つまびく音。
近頃はまって聴いているのは、ギターである。
なんというギターなのかも、どんな奏法なのかもわからないが、調べたり頭に知識を補充してフムフムするよりも、ただその音の中に身を委ねて、感覚だけを受け取っている方がいまは心地よいので、そうしている。
クラシックギターとかアコースティックギターとかいうのだろうか。そのふたつが同じものなのかも、違うものなのかも、わからない。
一度コンサートに行ってみたら、ステージ上の演奏者が、爪で弾いているんです、と話していた。爪に特殊なコーティングをして、ピックのように使うんです、と。割れたり剥がれたりもすると恐ろしい話も、にこにこと笑顔で。サインしてくれた時にそっと見たら、少し長い爪はマニキュアをしたみたいにつやつやと透明で、端がちょっと欠けていた。
つまびく、って、本当に爪で弾くんだ、と当たり前のことをいまさらに驚いた。
同じ曲を奏者によって聴き分けてみるのも楽しい。このフレーズをこのひとはこう弾くんだ、という小さな発見が。聴いているうちに、そのひとの味やそのひとらしさにもつながるのかもしれないが、小説ならば文体や言い回しにあたるものを、うっすら感じるようになる。
きっとここからさらに深く追っていけば詳しくもなるのだろうが、なんだか、これ以上踏み込むと、ただ身を任せて「きもちいい」と言っている感覚が、知識とか技法とかに邪魔されそうなので、やめておく。
それでいうと、音だけを聴いて「なんて繊細で艶っぽくて美しい」と感じていた音楽をつまびくひとが異国のすごいおっちゃんだったとすると、ギャップの面白さは嫌いじゃないが、聴くたびにどこかで、おっちゃんの姿がちらついたりするのも、邪魔といえば邪魔である。(いや、ほんと素晴らしいのですけれど、おっちゃん。すごい好きなのですけど)
さらにそこを通り過ぎると、盲目になってきて、おっちゃんが繊細で艶っぽくて美しく見えてくる。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の逆で、音楽が美しければおっちゃんまで美しく見えてくる。
ひとの感覚はなんといい加減なものかと、もしかしたら私だけなのかもしれないが、今日もつまびく音に耳を預けるのである。
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